| 天見駅周辺 |
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| 天見 |
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旧高野街道は天見川を溯り、九十九折りになって紀見峠を越えるのであるが国道371号線は旧街道を所々で分断しながら、一直線に紀見トンネルを抜けて和歌山県へはいる。電車も川をはさんで並行して走る。従って天見は大阪最南端の村である。元弘3年(1333)正月、楠公はここで安満見(あまみ)合戦を戦って勝利を収めた。このあたり、旗尾城、石仏城(総城)など楠氏の金剛山大要塞の紀州方面の防御戦であった。山は険しいが、今は植林の行き届いた美しい森林地帯である。 |
| 出会橋 |
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国道371号線に架かっている現在の出会橋のすぐ上手に旧高野街道のこの出会橋がある。このあたり古い家が建てこんで街道筋の面影を残している。正慶2年正月5日、旗尾岳に城を構えた楠氏一族は蟹井神社に戦勝を祈願しこの出会橋あたりで北条群と激しく戦った。安満見合戦という。突き当たりの山手には「皇の塚」があって、この合戦での戦死者の墓があったが、その墓石も村の墓地に移され、あとに地蔵がまつられている。電柱に絡んで蔦の紅葉は美しい。 |
| 八幡神社 |
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出会橋南詰めを西南へ進むと流谷の集落へ進む。集落のはずれ、川向かいに八幡神社の森が見えてくる。森は鬱蒼たる闊葉樹に覆われ、樹齢300年の銀杏の大樹が、まばゆいばかりに黄金の葉を輝かせている。図の左手、渓谷の上に立つ柿の古木の紅葉も美しいが、この木と対岸の勧進杉との間に神縄が架けられている。最近このしめ縄にそって鉄橋が架けられたが、美しい景観を損ねているのが惜しい。ここから奥、流谷まで約1km、家のない寂しい山道である。 |
| 勧進杉 |
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500年も経たろうと思われる大きな杉が2本、深い流谷川の崖に立っている。別名、鳥居杉という。その昔、八幡社勧進に際して、谷が深かったので、道から社頭へ一筋の縄を渡してご神体を移し泰ったという。その地に鳥居の代わりに2本の杉を植えのがこの名の由来だというから、なるほどとうなずける。現代風に呼ぶと、夫婦杉と言うかもしれない。毎年1月6日に、氏子たちが注連縄を作り、川を越えて対岸の柿の古木に張り渡す荘厳な勧進祭りが行われる。 |
| 月輪寺石仏 |
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流谷の渓谷に沿った山道では、たわわに実った柿が熟れきって、今にもしたたり落ちんばかり。石垣の南天も真っ赤に色づいていた。村のほぼ中央、農家の路地をくぐり抜けると、段々畑の畦道に、雑草に埋まった石仏の一群があった。ここが月輪寺の跡であろう。三つに割れて引き離された十三仏板碑、日光菩薩の種子板、それにバラバラになった五輪塔、いずれも雑草の根が張って土の中にめり込みそうなのが痛々しい。この十三仏板碑に彫られた感じばかりの戒名の中に、「テウロ」、「シタニ」の仮名文字が判読でき、建てられた年代からして、隠れキリシタンの洗礼名ではないかという。深い山里のロマンである。逆光を受けて尾花が光り、電線も輝き、山里の斜陽はつるべ落としに暮れそうだ。 |
| 流谷 |
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椿の花がずいぶん多い。ここは里より寒気のせいか、なよなよとした悲願桜がまだ散り残っている。新芽を吹いた雑木林を隔てて、濃い杉木立の森が鮮やか。稜線を区切る空は、あくまで青い。尾根を下ってくる岩湧からのハイカーの姿が見える。このあたり、耶蘇名を刻んだいしぶみが残っているが、隠れキリシタンの里を思わせるひなびた山村だ。 |
| 流谷の民家 |
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前ページの絵は上方を描いたが、こんどはほとんど同じ場所から下方を描いた。流谷のそれこそ谷底に大きな農家がある。東西と北の三方は鬱蒼たる喬木に覆われ、谷あいの亭々たる老杉は寒気に赤茶けていた。南は解放され、暖かい日差しを受けて明るい。ここから渓流に沿って段々畑や水田が、上へ上へと重なるのである。畦の柿の木に取り残された熟柿が干からびてしまった。今年は、山鳥も柿の実を食べきれないのだろう。山里の点景としてはとしては好材料である。 |
| 蟹井神社 |
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国道371号線はおおむね天見川の左岸を走るが、旧高野街道をずたずたに切断してしまう。蟹井神社の杜は天見盆地に入ると国道の東側、川向かいにすぐそれとわかる。天を突かんばかりの老杉に覆われ、寒気の厳しい冬の杉葉は赤茶けていた。何回電車はこの杜の下を走るようになった。遠くの山並みは混合から岩湧に連なる尾根で、この山裾に静かな島谷(しまんたに)の集落がある。島谷への道はこの杜の上手を迂回してうねりながら上がっていつ。 |
| 島谷(しまんたに) |
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時々粉雪の舞う節分の日に、蟹井神社に参詣してここまで足をのばした。島谷は南を受けて、寒くはないが、それでも手足が凍える。魔法瓶のお茶を飲み、筆を置いては歩いてみる。山の高いところまで家が建ち、どの屋敷も石垣に赤い南天をいっぱい生やしている。熊野送電線の高圧鉄塔があったあたり、十時峠を越えて、石見川へ出ることができる。 |
| 島谷の雨 |
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予定通り雨でも決行することになって、写生会の一行8名が、島谷の一本道を一番奥まで歩いた。女性が多いので、色とりどりのコートや雨傘、それにおしゃべりがにぎやかだから、静かな山村をちょっと驚かせたようだ。高いところの家々から一斉に眺めておられるのが見える。村での出来事は、一瞬にして村中に知れ渡るのではないか。少し引き返して、それぞれ適当な雨宿り場を探して写生をする。田植えの準備が終わった山田に雨が降る。 |
| 紀見峠 |
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天見の集落も南の端、国道371号線の紀見トンネルの手前で分岐した旧国道は、蛇行しながら紀見峠を上っていく。旧高野街道もほぼこの道路に沿っていた。紀見峠は標高437.9m、大阪府と和歌山県との境である。峠付近の高野街道は国道の東側上の昔のまままま残っており、橋本市柱本紀見峠という集落が街道筋に並ぶ。そこの家の所に、「高野山女人道へ六里」の里程標が立っていた。今日は峠は雪で薄化粧をし、時々粉雪が舞う寒い日である。旧国道は車の往来もなく、峠を登り詰めた路上で、村の子どもたちが寒風をついてサッカーをやっている。私は路傍に止めた自動車の中から写生する。 |