| 千早駅周辺 |
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| 御所の辻地蔵 |
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旧高野街道、岩瀬の御所の辻は、高野山と金剛山との分かれ道であった。「右かうやみち」「左かんこうせみち(金剛山道のこと)」の古い道しるべとその反対側に大きなお地蔵さんを納めたお堂が建っていて、堂の線香立てや鬼瓦に、菊の御紋章が刻まれている。南北朝の昔、吉野賀名生(あのう)の行宮を追われて天野山金剛寺へお移りになる後村上天皇が、五条−橋本−紀見峠を経て、岩瀬にさしかかって日が暮れたので、ここで予定外の宿泊となった。この光景に感激しながらも、不遇の天皇をいたわしく思った村人は行幸の直後、南朝の行く末安かれと、この地蔵をまつったと伝える。そういえば、地蔵の表情にも言い難い気品を感じる。お堂の造りも手が込んでいて立派だ。
いまでは、このお堂も建て替えられた。
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| 薬師堂(岩瀬) |
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国道371号線を走って、三日市を過ぎ石仏の坂を上り、谷間を抜けるとぱっと清水の盆地が開け、左前方に円錐型の美しい旗尾岳が目に飛び込む。旗尾岳は楠氏千早城の出城であった。この山をバックにした下岩瀬の集落の裏山にあずま屋根の薬師堂が望める。堂は亭々たるケヤキの大木に囲まれ、秋の紅葉はひときわ美しい。薬師堂の裏手には、赤坂上野山神社に合併された菅原神社の小祠が残っている。さらに西隣に北朝の年号歴応4年(1341)と刻まれた五輪塔がある。当市における最古の五輪塔である。 |
| 松明屋 |
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千早口駅西の御所の辻から旧高野街道を500mも進むと、右手に「松明屋」の横額を掲げたお堂がある。昔、弘法大師が高野山へ登る途中、ここで夜明けを迎え持っていた松明を地に突き立て休憩した。村人は暖かく大師もてなしちまきを差し上げた。そのご利益でここで作るちまきが厄除けとなって、高野山参詣の人々の土産となった。さらにこのとき、大師が立てた松明から根が生えて、松の大木となったという。その大木の切り株は今も堂の上手の塚に残っている。 |
| 地蔵時 |
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谷川の清水が白い砂をさらさらと洗って、細い道のほとりを冷たく走る。少し歩くと白い塀に囲まれて、地蔵寺が森閑と静まりかえっている。時々、流れ雲で谷間がかげり、逆光を浴びて田の畦草が光る。草花の手入れが行き届いていて美しい。道標のあたりを右へ折れて、寺の裏手を回ると、山越えに唐久谷へ出ることができる。ここはホトトギスの名所である。 |