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今夜の番組チェック

千代田・小山田方面
千代田神社
近鉄汐の宮駅から西側の台地の急坂を登りつめたところ、右手に千代田神社の標柱が建っている。広い参道の奥が深い鎮守の森で、最近まで菅原神社と呼んだ。この名が正しい。古くは平安朝以来、法幢寺という宮寺が栄えていたという記録がある。また、向野の伊豫神社、市村新田の木戸神社も合祀されている。正面のケヤキの大木がみごとである。悪童たちのいたづらで、鳥居の卒石の上にたくさんの石ころが投げ上げられているのもほほえましい。
松林寺
寺の名の示すように、こんもり茂った松林の中、土塀をめぐらし、数個のお堂を配置して、静かなたたずまいである。裏手の老杉が、冬のよそおいに赤茶けて、その枯れ枝が空に突き刺さらんばかり。土塀の外にはクマザサが茂り、雑草がはびこり、野生の柿の実が取り残されて、赤黒くしなびていた。
盛松寺山門
東からの参道が千代田学園の拡張で南へ移されこの山門も移築された。銅葺き唐風屋根の緑青と青丹の彩色が木々の緑に映えて、美しいコントラストを見せる。この寺の縁起にゆかりの楠の大木が、山門越しに見えている。さして広くはない境内だが、静かで明るく親しみやすいのが、与通(よつ)のお大師さんである。
盛松寺八十八ヶ所
与通のお大師さんの裏山に、小径を造って四国八十八ヶ所巡りができるようになっていた。ご本尊を納めるお堂が、寄進者の思い思いの趣向で小さいながら手の込んだ普請がしてあった。当時、里の老婆や若嫁などのお参りがなかなか多かった。今では、この裏山が住宅に開発されたので、八十八ヶ所の仏さまが境内の一堂に収納されてしまった。惜しいことだ。
寺ヶ池
今の千代田台町の西側の谷間に美しい大池がある。慶安二年(1649)上原村の庄屋、中村与次兵衛勝直が市村新田を開発するため、滝畑川から取水して、延々12.5kmの水路を導きこの池を築いた。勝直は功により新田の中に邸地を与えられ、子孫は代々代官になった。また、勝直は後、祐和と改名したが7月5日の忌日を祐和祭として、村民は感謝を捧げることになった。池の北岸には、寺ヶ池にまつわる数基の祈念碑が列んでいる。
住吉神社
小山田町の赤峰台地に古木に覆われた大きな森があって、住吉神社が鎮座する。表参道は小山田の集落から東へ急坂を上る。木造の両部鳥居が珍しい。丹塗りのすかし玉垣のの奥、桧皮葺き住吉造りの社殿は荘厳である。社殿の南は馬場先で、ここで神功皇后凱旋当時の古式による裸馬駆けの勇壮な神事が行われる。10月の秋祭りのクライマックスである。
住吉神社の馬場
社殿の南側に100mあまりの馬場があって、ここで秋祭りに裸馬駆けが行われる。騎手はたてがみとくつわを握って、馬に抱きついて走るのである。別に競争するわけではないが、勇ましい。今では農耕馬がいなくなって、乗馬クラブあたりの馬が奉仕をする。少年の頃の私は、この神社の氏子でもあったので、この日が来ると友達と一緒に家から4kmもの山道を息せき切って見物にいったことを覚えている。
西福寺
小山田町の峯の集落に、当市では数少ない真宗西本願寺末の西福寺がある。梵鐘に宝暦4年甲戊年(1754)の銘があるから、二百数十年も前に栄えた寺であろう。ここから金剛山は東方真正面に眺められる。あたりは果樹園や畑地で、今では珍しい大きな手編みの竹かごが、柿の古木の陰に転がっていた。
青ヶ原神社
下里町の北のはずれに大きな森があって、青ヶ原神社がまつられている。この神社は、明治40年に小山田の住吉神社に合祀され、狛犬などは持ち去られたのであるが、村人はそのまま社を保存し祭祀を続けてきた。すかし玉垣に囲まれた見事な社殿である。東側に市民グラウンドができて、ときどき青少年の歓声が響くようになったが、鎮守の森は深く森閑としてとしていて、広い庭は村の子供たちの格好の遊び場である。