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葛野から観心寺・川上方面
笠松稲荷
 三日市駅から三昧谷を上り詰めたところ、バス停葛野口の西の山頂に祀られている。東と北に二ヶ所の登り口があったが、清見台団地ができたので、西側から自動車ですぐそばまで行ける。古い二ヶ所の参道は赤い鳥居のトンネルになっている。昔、山の上には大きな笠松があって、その老松の根本にお稲荷さんをお祀りしたのがきっかけで、笠松稲荷となったのであろう。ただ今は、たくさんの明神様がそれぞれ小さな祠の中に鎮座まします。鳥居のほかに燈籠や玉垣も列をなして、赤や黄の原色がけばけばしかったが、今では朽ち古びて、山の自然にとけ込んだようである。とにかく賑やかに神々の集いである。
葛野
 国道310号線は河合寺をすぎると、長い昇条坂を上る。観心寺、金剛山へ向かうバス路線でもある。坂を上り詰めたところで三日市駅から来る道路と合流する。ここが葛野バス停であるが、このあたりから谷底に葛野の集落が見える。20戸ほどの鄙びた村で、深い木立に囲まれ、中でも亭々たるケヤキの大木がすばらしく、若葉の頃と秋の紅葉は、杉山の濃い緑に映えて、山里の風情を満喫させてくれる。谷を下って突き当たりを左へとると延命寺である。遠くに岩湧山頂のススキが光り、今年はまだ雪が残っているようだ。
観心寺金堂
 実にゆるやかな曲線を描いた、優美な屋根である。あでやかで、神秘な微笑をたたえて、思索する、極彩色如意輪観音を秘仏と堂宇として、誠にふさわしいと思った。秘仏は毎年4月17、18の両日に限って拝むことができる。暗い須弥壇の厨子のの中で、淡い光りに映し出されるお姿に、千数百年の歳月を忘れる。
建掛塔
 建武の中興なり、平和が訪れたので、楠木正成は敵味方供養のため、三重塔の建立を発願するのだが、足利尊氏の謀略により、再び動乱。業半ばにして出陣。ついに帰らざる人となるのである。後年、第一層に茅の屋根を冠して建掛塔と名づける。かえって閑素、えもいわれぬ構築の美しさである。
楠公首塚
 楠木正成は湊川に出陣するにあたり、正行を桜井の駅に呼び寄せ、七生報告の誓いをかたり、後事を我が子に託するのであるが、討死した父の首級が、敵の好意で河内の里に送り届けられたとき、正行は前後を忘れて自害せんとして、母に悟られ、思いとどまるのである。その首級をまつたのがこの首塚である。時の帝、後醍醐帝の御子、後村上天皇の御陵の真下にあたり、主従の縁もあわれである。古木うっそうとして、ただ風のざわめきのみ。
観心寺から延命寺
 観心寺から右へそれると、赤橋を隔てて、遠く金剛へ連なる山並みと美しい杉木立を背景に農家の一群れが階段状になって重なっている。秋の紅葉が美しく、路傍に、お燈明の石燈籠が苔むしている。ここからゆるやかな山道を歩いて延命寺へ出る。さらに川伝いに三日市へと下る。約4kmのコースは静かで美しい。曼珠沙華の咲く頃はとりわけよい。
鬼地蔵
神ヶ丘の集落の中ほど、道の左側にこの鬼地蔵の祠がある。この祠の向かい側で鬼住川は崖下に深い渕を作って流れる。この渕を「鬼のたらい」という。昔、鬼住に鬼の母子が住んでいた。父は和泉国父鬼にいて時々ここへ通ったという。村人は悪いことをする鬼を退治しようと、この渕で行水をしていた母子を襲い、殺してしまった。しかし、母鬼はともかく子鬼が哀れだと、この地蔵をたて、回向をしたという。後ろの屋敷の石垣には南天が生え、祠の右手のウメモドキとともに、真っ赤な実をたわわにつけていた。※鬼住とは神ヶ丘の旧の地名
延命寺
 天然記念物の「夕映えの楓」で有名な紅葉の名所。手入れの行き届いた静かなお寺だ。歴代の住職は、碩学の誉れ高い徳僧と聞くが、この環境のしからしめるところと思った。紅葉もさることながら、裏手の老杉の森をぬって流れるせせらぎのほとりを歩くと、色とりどりの山草がこぼれるように可憐でいい。
夕照のもみじ
 延命寺はもみじの名所として名高い。谷は深く冷気が厳しいので、もみじの色が冴えるのである。中でも「夕照のもみじ」は樹齢千年を数え、幹周り5mという見事な枝張りの楓で、府下における老木のひとつとして、府の天然記念物に指定されている。秋の日はつるべ落としという。この夕日が山あいから斜光となってこの老楓を照らすひととき、「夕照のもみじ」は紅に燃えるのである。もみじ山の参道には西国三十三ヶ所を勧進した石仏が並んでいる。
鳩原−はとのはら−
 延命寺道をどんどん東へ上っていくと、鳩原を過ぎて太井で国道310号線に合流する。この道は今なお全くの山道で、見事な杉・檜の樹木を抜けて、ぱっと明るくなった頂上付近では、こんな所に驚くほどの田畑が開ける。人家の気配を感じると、なるほど古い格式の大きな農家が数軒、石垣を築いてお城のように構えている。広い屋敷には色とりどりの花木が柔らかな新芽を吹き、空はあくまでも青く、白い雲がふんわりと浮いて流れる。山里だけに早い麦秋でもある。全くの桃源郷だ。
大日寺(鳩原)
 国道310号線を南へ走り観心寺を過ぎると、鳩原バス停の所で、左(東)へ分かれる道がある。この道は坂を上り詰めたところ、千早赤阪村大字中津原である。坂の途中、中垣内に無住の大日寺があって、その美しい寄せ棟がよく目立つ。寺の境内は狭く、今では村の墓地になっているが、ご本尊の大日如来の大きさから推定して、もっと大きなお堂が建っていたのでないかといわれる。まだ彼岸が近いのに、寒さで杉の葉は赤茶けている。
川上神社
 南海バス石見川線鳩原停留所から50mほど歩くと左手に川上神社の大きな標注が建っている。路地の急坂に狛犬が向かい合って立ち、石段の上に大きな鳥居が見える。鎮守の森は亭々たる老杉に覆われ、その緑の中に銀杏の大木が黄金の葉をちりばめている。境内の楓も冴えて色鮮やかだ。山峡の秋色は今たけなわである。私は街道を隔てた田の畦に腰を下ろして写生し、弁当を開く。バス停へ急ぐ村人の後を犬が走る。のどかな山村の風景である。
小深
 正月が来ると、私は長野の山々を歩く。この道は行者杉の所で金剛山脈を越えて、大和五条へ通じる寂しい道であったが、今は盛んに道路を改修し、トンネルも掘削された。熊野・新宮へ直通する国道310号線となって、人通りも多くなった。山峡では猫の額のような平地でも開墾され集落ができる。ここから4kmも進むと、最奥の集落石見川だ。水車のきしむ音を聞きながらスケッチ。時折、粉雪が時雨れてくる。
石見川
 ここは市の最奥、約30戸の石見川である。街道は前方の山の中腹を急坂で上り、金剛トンネルを抜けて奈良県五條市に下りる。さらに天辻峠を越えて、十津川沿いに新宮に至る国道310号線である。遠方に金剛山から岩湧山に連なる尾根が見える。この国道ができるまでの旧街道は石見川を過ぎると、山峡をつづら折れに上って行者杉に出て、同じように五条に下りる寂しい山道であった。天誅組もこの道を通って五条代官を襲撃したという。行者杉に降った雨の水滴は、石川の源流である。
石見川草
 河内長野駅前から石見川行きのバスに乗って石見川口で下車、すぐ下手の路地の急坂を旧街道の方へ下りると、生け垣に囲まれた家の屋敷内に観音堂が建っていて、そのお堂を取り巻く草むらに石見川草が生える。この場所以外には生えないのである。湿地に群生するミゾソバに全くよく似た草だが、比べてみるとまず葉の形が違う。これが弘法大師からその家に授かった薬草で、代々家伝薬として伝え打ち身などに不思議とよく効くという。製法は書き物で残されているが、現在は製造していない。色が黒くて汚らしいので現代人には受けないからだという。
荒日丸大明神
 南海バス石見川線の終点、石見川停留所の真下の田圃の中に、高さ2mほどの岩がひとつ、でんと座っていて、横に小さな祠が建っている。岩は不動明王の御仏体で、祠には荒日丸大明神をお祀りしてある。そういえば、岩の形は明王の座像に見える。この田圃は川上村最後の村長さんの所有地であることから、元村長さんの家がお祀りをしているのであるという。村の人々は誰もその由来を知らない。一説にはこの岩石は、天から降ってきた隕石であるという。
行者杉
 国道310号線の阪奈国境、金剛トンネルの大和側出口から西へ入る山道をたどると、約30分で行者杉に出る。この山道が石見川から五条へ抜ける旧街道であった。今は、金剛・岩湧をたどるダイヤモンド・トレールの一部になっている。昔、役行者は葛城山系に28の修験道場を作った。そのひとつとしてここに祠がある。数百年の業を経た老杉が6、7本隆々たる根を張って烈風に抗して踏ん張っている様は見事である。広場に腰掛けて写生していると、ひとり歩きのハイカーが休憩して弁当を食べていった。本当に山好きな人だなぁと思った。