| 美加の台駅周辺 | |
| 庚申道 | |
![]() |
ダンプ街道と呼ばれる、紀州へ通ずる国道371号線に沿った民家の軒陰から、やっと正面が描かれる。ホコリと喧噪と、そして身の危険さえも感じるのだ。一国一庚申の標識が示すように、遠近からのお参りで、さぞ賑わったことでもあろう。風雪にへし曲げらた老松が一本。劫をへこたれた松は、もう付近には見あたらない。(その老松は今は枯れてしまった。) |
| 阿弥陀寺(石仏寺) | |
![]() |
新町の庚申道にお参りして、371号線を南に進むとすぐ旧高野街道は右に分かれ、坂道となって石仏を通り、鳥居坂を下ったところでまた371号線に出る。この鳥井坂の切り通しの真上に阿弥陀寺がある。ご本尊の石仏阿弥陀如来は昔、火災にあったとかでひどく傷んでおられる。不思議なことにこの石仏は大地の岩石をそのまま彫りだしたものだといわれる。つまり大地から生えているのである。阿弥陀寺を別名石仏寺といい、地名を石仏という由来がうなずける。さらにありがたいことに、この石仏は弘法大師の作といわれ,付近には弘法大師ゆかりの井戸もある。 |
| 惣城 | |
![]() |
旧高野街道の石仏から西に別れる谷間の道を南へ約1キロ進むと、惣城(総代)の集落がある。盆地の中に段々状の田畑がひらけてはいるが、戸数わずか16戸の寂しい山村である。南は険しい山で遮られ、その山あいを東へたどると天見の清水へ出る。東側の山の頂は平らになっていて、ここが楠氏の石仏城(惣城)蹟である。天見の旗尾城と呼応して、紀州への街道を脾睨していたのである。惣(城)というからには、兵站基地を備え、いくつかの出城の要となる重要な城であったに違いない。この集落は格好の基地であろう。西側の山手は、すぐ近くまで住宅団地がせまっている。 |
| 興禅寺(片添) | |
![]() |
人里離れた山の上、町へ勤める住職さんとお嬢さんは、最近の里(片添)へたどり着くには1km、15分はかかったという。前に訪れたときには、新緑のせいか、蓮池には気がつかなかった。禅寺らしい丸窓のある本堂の前、ちぎれ雲のせわしく行き交う冬空を移して、蓮池が、折れ釘のように相互に絡み合って、わずかに残った水面を銀色に輝かせていた。(その後、周囲は住宅に開発され賑やかになって久しい。) |
| 赤阪上野山神社 | |
![]() |
土地の人は上(かみ)の宮と呼んでいる。片添町三日市浄水場のところから、長い山路を登る淋しい山頂にあったが、その後新しい住宅団地に開発されたので、環境が一変して晴れやかになってしまった。眼下に石仏、清水の氏子たちの家並みが見えるすばらしい景色である。興禅寺と同じ境内を考えると、この神社も神仏混合の宮寺と共に栄えてきたのであろう。写生に登った日は、蓮池の改修工事が進んでいた。開発による水源の枯渇を防ぐ目的のようだ。境内は美しく整備はされたが、昔の山寺の自然環境はひどく損なわれ、山寺の風情がなくなったのか悔しい。 |