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長野駅周辺
割坂(くらがり坂)
 昔の高野登山道は、京より淀、四条畷、柏原、古市、富田林、一里塚から市、原、古野に入るいわゆる東高野街道と、大阪、堺より狭山、与通を経て原、古野に入る西高野街道があるが、いずれも原の南でひとつになり、上古野を通り、割坂を下り、長野神社の下を右に折れ、急西条橋からびっくり坂を登り、上田、三日市に入る。
 割坂の入り口に、この地蔵堂と大きな石灯籠が立っている。ここを東に入るとすぐ極楽寺の山門がある。街道の名残をとどめる家並みの風情に、かっての高野詣での賑わいをしのぶことができる。
極楽寺
この寺のある台地は、古野から東に突き出た小高い丘だが、最初に西側を高野鉄道(南海電鉄)に掘り割られ、次に東の端を河南鉄道(近鉄)に削り取られ、三度目に、東側を大きく府道で分割されたが、その後その分割された山の東側がすっかり取り除かれて、工場敷地になってしまった。そのとき、古墳が発掘され、石室や須恵器が出土した。正月も間近い暖かい日、旧高野街道割坂の上から写生したが、どっしりとしたよいお寺だ。その後、境内に大きな露座の大仏が立った。
十三仏板碑(原町)
 この碑は、もと阿弥陀寺跡にあったものを、かなり昔に当時田中氏の所有地に移されたということである。同居のお地蔵さんとともに、村中の何十軒かが地蔵講を作り、当家(とや)を定めて祭祀の当番をされる。民家の庭先の狭い一隅ではあるが、傾いた一本の松の根本に、きちんと並んでおられる。初夏の陽光が梢を洩れて、碑面に美しい斑点を描いていた。
明忍寺(みょうにんじ)
西高野街道石坂の中程、民家の路地を西へ入ったところ、小高い赤峰大地の中腹に、石垣の上に土塀をめぐらして、まったく民家とまがう藁ぶきのお寺がそれ。裏山の赤松とクヌギ林があかるく、野中のお百姓さんの住まいとしか見えない。手入れの行き届いた、静かな広いお庭には、村の子どもたちのために遊具も用意されていた。
紫雲寺(しうんじ)
 向野町のほぼ中央に民家を改造した一宇のお堂がある。堂は傾き、瓦はずり落ち、古い格子障子だけがやっと寺の風情をうかがわせる。すぐ南にある大きな代官屋敷とは対照的に、この紫雲寺は、民家に囲まれた路地裏で、まったく哀れな姿をとどめている。堂内には、傷んだお姿の古い仏像や十二神将がまつられているが、寺の由緒は全くわからない。狭い境内にお地蔵さんの小さなお堂がひとつ、その足もとに、壊れた五輪塔や法篋院塔が、瓦礫のように積み上げられ、そぞろ廃寺の哀れをそそる。    
長野神社
 寒い日だったが、喜多町の高台から西条川越しに長野神社の森を写生した。このあたり、長野駅周辺の雑踏地であるがこの森のおかげで、静かなたたずまいを残している。天然記念物に指定されたかやの大木や、隣家の楠の巨木をはじめ、大銀杏、欅など、とても街中とは思えないみごとな森である。10月の秋祭りには、境内で大松明に火をつける「松明立神事」がある。神社本殿は重要文化財に指定された。また、1月10日の長野戎の祭礼には、境内から周辺の道路まではみ出した出店、夜店で終日雑踏する。十日戎が済まないと正月は終わらないという子どもの頃の遠い憶い出がなつかしい。
蓮光寺
 長野神社西側の低い所は、市場という地名で、昔はここで市が開かれ賑わったという。高野街道はここから旧西条橋を渡り、びっくり坂を登り、烏帽子形八幡宮の下から上田の堂の辻に出、左に折れて、三日市宿へ進む。昔からお地蔵さんが御本尊であったので、「市場のお地蔵さん」で親しまれてきた。蓮光寺はいま、真言宗京都仁和寺の末寺であるが、ここに定着するまでには、紆余曲折があったようだ。本堂は鉄筋コンクリート造りとなり、立派な鐘楼も建った。
長野遊園
 国道371号線は長野町市場のあたりで、西条川(石川本流)に架かる西条大橋を渡るのであるが、このあたりは低地になっているので、国道は土盛の上を走る。従って七ツ辻を少し南へ下がったあたりからは、東の方の眺めがよくきく。正月三日に孫娘を連れて、国道傍に停めた乗用車の中から写生をした。喜んでついてきた彼女も、せっせと描く。右手の小高い山の上は長野遊園であって、朱塗りの展望回廊が珍しい。この回廊からは、旧市街が一望できる。左手前は長野神社の杜で、欅や樟の大木が亭々とそびえる。金剛山の頂が覗いているが、今日は空気が澄みきっていて遠山も近く見える。
旧西条橋
 絵の三橋のうち、一番上位にあるのが、下流に架した西条橋。中位にあるのが、新しい国道に架した西条橋で、一番上流に位している。最下位の橋が、いわゆる高野街道の旧西条橋である。この橋を渡ると、喜多町への急な坂道。今では一番人通りも少なく、車はほとんど通らない。橋の北詰めは、西条家の広い屋敷と酒蔵で、旧市内ではいちばん静かで美しい川っぷちではある。
西代神社
 長野小学校の南隣り、こんもり茂った鎮守の杜がそれである。昔は、小学校の敷地が表参道であり馬場先であったので、運動場の北端に、石鳥居と神輿台がその名残をとどめている。その後道路が拡張され、狭くなったが、それでも杜の中は、車の喧噪を避けて静かで心が落ち着く。境内には弁天狗卯や稲荷大明神が賑やかに同居され、最近亦戦没者慰霊塔が建った。十月の秋祭りの宵宮には、150年以上の伝統を持つ西代神楽が奉納される。これは有名ですばらしいものである。
西代観音堂
 西代神社のすぐ南、河泉街道(国道170号線)に沿って東側に、瓦葺きの小堂がある。ここでは、本尊十一面観世音を、安産の仏様として信仰している。お堂にくっついて、七、八の石地蔵がまつられている。いつ見ても、真新しいよだれかけが取り替えられ、近所の主婦が、街道の激しい交通を気にしながら、お灯明をあげて行かれる。私も、バスの中から、お地蔵さんに黙礼をして過ぎる。
野作(のうさく)薬師寺
 野作町の西端に、南面して小さなお堂があり、正面の手荒石には、薬師寺と彫ってある。全くの廃寺で、今日では町内の会所になっている。軒の鰐口は、その銘によると、天見流谷の廃寺月輪寺の什物であることが判る。どうしてここへ移ってきたのであろうか。このあたり、外環状線が開通して、だんだんと都市化してきたが、廃寺の周辺の農家は、いずれも広い屋敷の格式のある大和棟で、昔ながらのたたずまいを残している。
諸越橋
 橋から眺める川筋の景色は美しい。欅の大樹が、川に覆い被さっていて、萌える新芽と、秋の紅葉があでやかだ。端からの眺めもさることながら、はしそのもの、優雅なアーチが、流れと木々の景観にマッチしていて、とても調和のよい構図である。昔は、石川を上ってきた船がここで物資を下ろしたという。
河合寺
 寺の由緒こそ古いが、山門も、金堂も、再建されて新しい。雑木の森をいただいて、色づいてまばらになった桜。建物の丹。長い石段の寺は、初秋の西日にはえて、大変カラフルだ。向かいにあった丘に、キリスト教の学園が建った。蘇我入鹿ゆとりの古寺とは対照的だ。