| 滝畑 |
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| 滝畑ダム |
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私が市長に就任した昭和41年以来、畢生の事業として滝畑ダム建設に取り組み、困難を極めた補償交渉に6ヶ年、さらに建設工事に8ヶ年を費やし、昭和55年にようやく完成をみただけに、生涯思い出のつ尽きないダムである。その間の経緯は、風景画とともに、拙書「湖底に沈む村」に留めたのであるが、今湛水した湖の風景を写生して感慨一入なものがある。この絵は、記念館コミュニティセンターから湖の上を眺めたものである。この昔ながらの山容は、今では湖水にその影を映して、新しい風景画となった。無夏も終わったが、山峡に嵐気が立ちこめ、去来する白雲が逆光に輝いていた。 |
| 滝畑の民家1 |
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滝畑の深い谷間は南北に長いので、西の村は朝日を受け、東の村は夕日を受ける。南は岩湧山の尾根に遮られ、冬の日照は短いので、冷え込みは特に厳しい。従ってどの家にもいろりがある。図の民家は東の村で、急斜面に家が重なり合って建っている。向かい側に見えるのは西の村である。滝畑でも茅葺きの家の少なくなったのが寂しい。昔は各戸に蓄えた茅を融通しあって、共同作業で輪番に葺き替えていったというが、時代とともにこの和やかな風習も消えた。今ではトタンをかぶせて、藁屋根の形だけでも残っておればありがたいとせねばなるまい。この屋根も随分傷んだが、草が生えて美しいが、波板を差し込んでやっと雨漏りを防いでいる。画家にとっては好材料だが、やがて消えるかと思うと切ない。
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| 滝畑の民家2 |
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滝畑集落の一番奥にある家は古い格式のある典型的な滝畑民家である。滝畑ではどの家も急斜面に建っているから、高い見事な石垣を築いている。それでも足りない分は、片足を崖に架け出して、下駄履きになっている。この家の離れ座敷も同様で、二階が一階で、そこに入り口がある。石垣に生えたモッコクと柿の老木を見ると、この家の年代の古さが分かる。取り残された枝垂れの熟し柿が、今にもしたたり落ちそうである。南天もたわわに赤い実をつけた。凍てつくような寒い朝には、ヒヨドリの群がけたたましい鳴き声をたてて、赤い実を食べに来る。 |
| 光滝寺不動堂 |
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大阪近郊の桃源郷、滝畑の奥まったところ、蔵王峠を越えるともうすぐ紀州妙寺という山奥に、無住の光滝寺がある。夏のキャンプシーズンが過ぎると、森閑として、耳を澄ますと紅葉の散る音さえ聞こえそう。茅葺きの屋根が傾いて、ススキが茂り、杉桧が生えている。うっそうとした木陰を漏れる山峡の日のあしは早い。自転車で出かけると、スケッチ一枚が精一杯だ。
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| 横谷 |
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滝畑地区はおおむねダムに水没してしまったが、この横谷は谷筋が違っただけに取り残された。戸数12戸の桃源郷である。ここに清流を引き込んだ鱒釣り場ができて、観光客が足を踏み入れるようにはなったが、それでもまだ鄙びた山里である。ここがまた、岩湧寺を経て山頂に至る岩湧山登山口の一つである。奥に高くなだらかな岩湧山の稜線が見える。山頂は一面にススキが原で、枯れ尾花が黄金に輝き、山峡の秋は足早で、紅葉がさっとしみ入るような静けさだ。
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